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歴史が刻んだ場所

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この写真はパリ市内を走る環状線の短いトンネル内です。

1997年8月31日イギリスのダイアナ妃が亡くなった現場と聞かされてパチリ。

・・・歴史が刻んだ場所・・・

パリに入って二日目は、午前中パリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿を見に行くことにしました。

今回で12回目のパリですが、観光らしきものはほとんどしていなかったので無理やり時間をつくっての視察。

フランス歴史のことはほとんど知らない私でも、ヴェルサイユ宮殿は知っています。

“ヴェルサイユのばら” がそのほとんどですが、実際に見てみるとかなりすごい。

時は17世紀後半から18世紀後半まで、その100年間だけの権力の象徴がこのヴェルサイユ宮殿。

贅沢の最上級、絢爛豪華という言葉がぴったりで、これぞ大人買いと言わんばかりの装飾。

・・・こりゃ国民が怒るはずだわ・・・ と、視察しながら思うほど。

国王たちのあまりの贅沢生活に嫌気がさしたフランス国民は一揆を起こします。

1789年フランス革命がそれです。

かくして当時の国王であったルイ16世と王妃のマリーアントワネットは、コンコルド広場でギロチンの刑に処されるわけです。

その現場・・歴史を刻んだ場所を目の当たりにすると、心が揺れます。

ヴェルサイユ宮殿の広大な敷地の片隅に、マリーアントワネットが作らせた田舎風のヴィレッジ(村)があります。

お菓子の家が立ち並んだような可愛い建物に、彼女は宮殿からよくここに遊びに来たそうです。

オーストリア・ウィーンから14歳で嫁いできた彼女にとって、田舎の街並みこそが心落ち着かせるものだったのかもしれません。

豪華絢爛とは全く異なる風景がここにあり、彼女に対する気持ちが少し変わってきました。

本当は可愛いものを好む普通の女の子だったのでは?

ねつ造された実の息子との近親相姦を理由にギロチン台に上がらせられたマリーアントワネットの遺書にはこう書かれています。

「犯罪署は恥ずかしいだろうけど、私は無実だからギロチン台に上がることは恥ずかしくない。」

歴史は、いや政治は、彼女をいけにえにしたのでしょう。

マリーアントワネットとダイアナ妃 私の中でどこかかぶってしまうのです。

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